PDAの話をしよう4 HP200LX、全てはここから始まった
PDAの話をしよう、とMediumで雑文を始めました。PDAとはパーソナルデジタルアシスタントの略で、もはや死語になっている単語です。しかし、スマートフォン登場以前の1990年代にモバイルに格闘していたユーザーとっては、甘酸っぱい青春のような意味合いを持つ単語になっています。
1990年代、家庭の文章力作成端末がワープロからパソコンに変わりつつありました。そして、パソコンの普及に連れ、インターネット登場以前は、パソコン通信というテキスト中心としたネットコミュニケーションが盛んになってきます。
当時、モバイル機器として主流だった機器としては、電子手帳があります。アドレス帳や予定を確認できる電子手帳はサラリーマンを中心に流行します。そして、この電子手帳機能を内蔵したポータブルワープロが発売されて、内蔵されたモデムを利用することで、モバイルで通信できる環境が出来てきます。
日本におけるモバイルは電子手帳とワープロという環境の中、突如ユニークな端末が登場します。HP95LX, HP100LX, HP200LXです。私は1994年発売のHP200LXより使い始めました。この端末は、一見、プログラム電卓ような風貌になっており、さらに、電子手帳機能であるPIM機能を搭載していました。これだけ見ると、ちょっと便利な海外版の電子手帳です。しかし、この端末がとんでもないポテンシャルをもった端末だったのです。 https://gyazo.com/03cecf2b998a01ee095aeb413aafb708
この端末では、MS-DOSが動いたのです。Windows95登場以前、IBM PC互換のPCはMS-DOSベースで動いていました。つまり、HP200LXはパソコンと同じように使うことができる可能性を持った端末だったのです。まだノートパソコンが普及していない時代に手のひらサイズのパソコンのような端末が存在したのです。
この端末のカスタマイズに、日本のユーザーは熱狂しました。日本語が搭載されていないため、有志でフォントを作りました。恵梨沙フォントです。日本語が使えるドライバーが開発され、当時はDOS/Vという規格でIBM互換PCが動いていましたが、HP200LXはDOS/Cという規格で、DOS/Vアプリの移植が有志により行われました。 日本語入力システムであるKATANAが移植され、パソコン通信ソフトKTXも移植、さらにエディターソフトウェアVZ Editorが移植されました。実は、このVZ EditorのWindows版のWZ Editorを20年経った今でも愛用しています。
また素晴らしいのがキーボードです。ミニキーボードを両手で持って親指入力は、とても速く入力が可能です。この親指入力は後にHP打ちと呼ばれるほど、モバイルユーザーの間では人気になりました。
HP200LXのPCMCIAスロットにモデムカードを内蔵して、グレーの公衆電話、グレ電にてパソコン通信をしていました。公衆電話はお金がかかりますので、パソコン通信ソフトウェアKTXに自動巡回スクリプトを組み、メール自分の読みたいNIFTYサーブのフォーラムを自動巡回できるようにしていました。
また、HP200LXで特筆すべきはPIMソフトウェアです。今でも、この内蔵PIMより使いやすい予定表やアドレス帳やメモ帳には出会っていません。
さらに1995年頃より、インターネットの利用を開始しました。それとともに、HP200LXに、FTPソフトを導入し、エディターでHTMLを書き、ホームページの更新も始めました。簡易版のブラウザも登場し、ホームページを見れるようになりました。
このように、今、モバイルで行っていることが、1994年発売のHP200LXで全て実現していたのです。20数年に渡り、HP200LXで学んだことを継続しています。
こんな形で始まったPDAライフですが、スマートフォン登場まで、紆余曲折がありました。また次回以降で。